社会の底辺と呼ばれてたけど保育園経営してみる

中学校を退学、色々あって海外の大学を卒業、今は保育士

街のチンピラがバイリンガルになるまで③

多くの留学生が英語を話せないまま帰国するなか、最も英語力が低い所からスタートした私がバイリンガルになれたのは何故か。

 

いくつか理由がある。

 

① 日本人の友達ができなかった

留学生は少なからず、『日本語を喋らないぞ、日本人とつるまないぞ』といった意識を持って留学すると思う。だが、自然と日本人同士で集まってしまう傾向がある。私の場合は当時チンピラと自覚しているように外見が威圧的で、日本人が寄ってこなかった。そして、自分のコミュニケーション力の低さも相まって、日本人の友達ができず、日本語を話す機会がほとんどなかった。『夢を英語でみる』ことに時間はかからなかった。

 

② ホームステイ先に複数の留学生がいた

留学初期、私は業者に斡旋されるままホームステイに入った。ホストファザーが1名で、他にブラジルやスペインなど、4人の留学生が一緒に住んでいた。食卓を共にする事もなく、温かい家庭で夕食を食べて・・・など、イメージ通りのホームステイではなかった。ただ、一緒に住んでいる留学生達は同じ学校に通っていたので、一緒に学校に行くし、喫煙所でタバコを吸っていると、ルームメイトが声をかけてきて友達を紹介してくれたりするのだ。日本人の友達はできなかったが、自然と別の国の人とつるむようになった。

 

③ 外国人の彼女ができた

アメリカで、日本人女性はとにかくモテた。理由はわからない。

対して、日本人男性はとにかくモテない。当時はクールジャパンなんて言葉もないし、外見も見劣りし、英語のコミュニケーションも拙い日本人と付き合う利点がないからだ。ただ好みは千差万別で、アジア人が好きなのか、英語ができない事に母性を感じるのかは知らないが、たまたま親しくなったアメリカ人女性がいた。日本人留学生同士でカップルになっている人達もいたが、アメリカで過ごす時間は同じでも、一緒にいた人と英語で話すか、日本語で話すかの違いで差がついた事は明らかだ。一見頭が悪そうだが英語をペラペラ喋るコミュニケーションモンスター(主に女子)は、基本この③のパターンだ。

 

結論、当たり前だがとにかく英語を話していたのだ。

留学をすれば自分を追い込めるわけではなく、留学中の時間の使い方で差が出る。

だからこそ英語を話す=英語力の伸びにつながると信じているが、留学初期にまったく英語を話せなかった私が、どのようにスピーキング力を上げていったか。

また別の機会で書いていこうと思う。